木牛歩々火中に行く
先日の豪雨では朝倉を中心に甘木など広い範囲で大きな被害を出しました。被害を受けられました皆様に、心よりお見舞いを申し上げますと共に、一日も早い復旧をお祈り申し上げます。
久留米市も警報が発せられてそれなりに降りましたが、避難準備をしていたコミュニティセンターや学校の体育館は閑散としていたそうです。近くを流れる高良川も数年前には堤防があちこち崩落していましたが、今回は水量が少し増えたくらいで胸をなでおろしました。
今月の合同慰霊祭は水害の犠牲者への黙祷から始まりました。午前中の雨や道路事情の影響でいつもに比べるとご来園の方々もやや少なめです。晴れてからはかなり蒸し暑くなって境内には早くも大きなトンボが飛んでいるなど、本格的な梅雨の到来を前にこのまま夏になってしまいそうな勢いも感じます。
今回の法話は「木牛歩々火中に行く」というものでした。木牛と聞いてトロイの木馬を思い浮かべていたのですが、調べてみて三国志で有名な諸葛亮孔明が発明した「木牛流馬」が近い気がしました。どんな道具か詳細な資料が残ってないようですが、工事現場で使われる手押しの一輪車に似ているようですね。
モノやお金、地位や名誉など、自分が尊重され生きた証として何か形を残したいという欲を捨てて、燃え尽きた木牛のように跡を残さず終わりましょう、という言葉のようです。ついお墓の中まで持っていきそうな勢いで抱え込んでしまう私たちより、望んで何かを残そうとしないペット達のほうがひょっとしたら潔いのかもしれません。